努力と成果の冷酷な現実:なぜあなたの努力は評価されないのか?

我々通関士という仕事はとても神経を擦り減らす職業です。
膨大なインボイスと格闘し、複雑な関税率やHSコードを必死に調べて、1円のミスも許されない「通関申告書」を神経を擦り減らしながら何枚も作成しなければいけません。
しかしその割に、毎月の通関士手当はたったの数千円〜数万円程度だと気づいたとき、少しやるせない気持ちになります。
貿易のプロとして「絶対に間違えられない」というプレッシャーと闘い、日々努力を重ねている割にはもらえる報酬が少な過ぎて、
「この責任の重さと給料、本当に割に合っているのかな…」
とデスクの前でモヤモヤしてしまう。
他にも、「とにかく今日中に通関を切ってくれ!」という営業や荷主からの無理な要望に応えるため、昼食を抜いて税関の窓口へ走ったり、残業してまで間に合わせたのに、基本給が低いために残業代がついても手取りの少なさに愕然とする。
あなたはそんな経験ありませんか?
ちなみにこれは、私がまだ20代の通関士として駆け出しだった頃によく思っていたことです。
しかし、40代になった今の私は違います。
必ずしも「努力=成果(報酬)」という等式にならないことを心得ているからです。
そこで今回は、あなたがこれからも通関士として活躍していく上で、なるべく人生の早いうちに知っておいたほうがよい努力と成果の関係性について解説します。
あなたの努力に何の価値もない
まずはこの事実を受け入れることが先決になります。
私たち日本人の中には、努力すること自体が尊いという思想が深く根付いています。
仮に、結果が思うように出なくても頑張ったことそれ自体が尊く、結果は二の次という考え方です。
確かに努力は尊いし、それ自体に意味もあります。
例えばあなたに子供がいて、今後受験やスポーツなどで大きな失敗をしたとき、努力をすること自体が尊いと教えてあげた方が良いと思います。努力したことは今後の人生で役に立つはずだ。努力は決して無駄にならないと。
しかし残念ながら、それが許されるのはせいぜい学生までで、大人の世界ではそれは通じません。
誤解を恐れずに言えば、大人の世界では努力自体に何の価値もありません。
私がこんなことを言うと、努力に価値があると思い込んでいる人からよく批判を頂きますが、残念ながら真実です。
例えば、ある寿司職人が10年修行し、寝る間も惜しんで寿司を握ったとしましょう。
あなたは期待に胸を膨らませてその寿司を口にします。しかし、その寿司はお世辞にもうまいとは言えず、正直言ってクソまずい。
ところが寿司職人はあなたに要求します。
「この寿司は、私が10年努力して握った最高の寿司です。一貫5万円いただきます。」
おそらくあなたは顔を真っ赤にして寿司を床に叩きつけ、「こんなまずい寿司に5万円も払えるか!ふざけるな!」とクレームをつけることでしょう。
あなたにとって重要なことは、寿司職人が10年も努力したかどうかではありませんよね。
その寿司がおいしいかどうかその一点だけ。つまり結果がすべてなはずです。
なんだかんだ綺麗事を言ったところで、大人の世界はすべてそうです。
あなたがどれだけ努力しようが、結果が出なければ会社からは評価されません。営業成績が悪ければ解雇されます。
なぜなら、大人は忙しいから他人の努力などイチイチ見てる暇なんかないのですから。
あなたを評価するのは、あくまでも市場であり、周りの人間です。
自分で自分の頑張りを誉めるのは勝手にやればいいですが、それが会社や市場で評価されるかは別問題です。
人は結果からしか判断できない
とはいえ、私がこんなことを言うと、
「頑張りにだって価値があるでしょ!」
「努力を無駄なんてヒドい人間だ!」
なんて反論を頂きますが、言葉の真意がまったく伝わっていません。
私が言いたいのは、
(あなたにとっては)努力は価値があるかもしれないが、(周りの人間にとっては)あなたの努力は価値がない。
という意味です。ここを履き違えてはいけません。
逆に、努力価値至上主義の人に聞いてみたいのですが、「あなたはそんなに他人の努力を評価しているんですか?」ということです。
例えば、
- 要領の悪いコンビニの店員にイライラしたことはありませんか?
- なかなか注文を取りに来ない飲食店の店員を見て「ちゃんと仕事しろよ!」と思ったことはありませんか?
- まったく道を覚えないタクシーの運転手にムカついたことはありませんか?
もしかすると、彼らだって私たちの知らないところで必死に努力をしているのかもしれません。
接客の本を読んで勉強したり、少しでもスムーズに運転できるように日々隠れた努力をしているかもしれない。
なんなら家族を養うために、バイトを3つも4つも掛け持ちしているかもしれません。
しかし残念ながら、私たちは結果からしか判断できません。
どれだけ彼らが陰で努力をしていても目に見える結果がなければ、「仕事ができないヤツ」としか評価できません。それが現実です。まずはこの事実を受け入れましょう。
少し厳しいことを言いますが、結局努力自体に価値があると思いたい人の主張は、「私は他人の努力は評価しません。でも、私が努力したことは評価して欲しいです。」という子供じみた願望なのです。
いい歳をした多くのおじさんやおばさんが、こういう考え方を本気で信じているのですから、もはや救いようがありません。
自分ではなく「相手」にとっての価値とは何か?
もちろんこれは通関士にも言えることです。
通関士でいう結果とは極論、輸出入の許可を得ること。ただこの一点に尽きます。
例えばあなたが仕事を依頼する立場で、こんなことを言う通関士がいたらどうでしょうか。
- 私は必死に努力をしましたが、許可を得ることができませんでした。
- 私は一生懸命頑張りましたが他の仕事が忙しく、納期までに許可を得ることができませんでした。
- 昨晩子供が熱を出して一睡もできず、寝不足で輸入申告するのを忘れていました。
- 彼女にフラれたショックで頭が働かない中最善を尽くしましたが、通貨単位「JPY」のところを「USD」で申告してしまいました。
おそらく今後、二度とこんな通関士には仕事を依頼しないでしょう。
少なくとも、もし私が仕事の依頼主だったら仕事を頼まないし、上司だったら仕事を任せません。
通関のプロである通関士の評価基準は、あなたがどれだけ頑張っているか、努力をしているか、知識があるか、資格を持っているか、何年働いているか、ではありません。
それらはすべてあなたにとっての価値であり、顧客にとっての価値ではありません。
お客さんがあなたに期待することはただ一つ。仕事の完遂能力。つまり結果です。
私は、この「あなたの努力に価値がない」という考え方をコピーライター時代に先輩経営者に教えられ、そこから一気に仕事に対する責任感と完遂能力が上がりました。そして、それに比例して報酬がアップしていきました。
プロの通関士として判断すべきたった一つの基準とは?
とはいえ、それまでは何を隠そう私自身が努力に価値があると思っているタイプの人間でした。
例えばこんな感じです。
- 努力の割に報酬が見合っていない。
- 頑張ったんだから失敗しても文句は言われないだろう。
- 自分はこんなに努力しているのに、どうして周りはもっと評価してくれないのか。
このように考えていた頃は、やはり会社や取引先との間でトラブルが絶えませんでした。
しかし、自分の努力は他人には価値がないことを自覚してから仕事に取り組む姿勢が一気に変わり、自分を中心に考えるのではなく、顧客にとって価値があるかどうかを第一に考えるようになりました。
結局のところ、自分の努力を認めて欲しいと言っている人は、自分のことを第一に考えています。要はお子ちゃまなのです。
顧客(会社の上司を含む)からすれば、あなたが頑張ったかどうかなんてどうでもいいことです。
そうではなく、プロの通関士であれば顧客にとって価値があるかどうかを判断基準にするべきです。そうすれば自ずとやるべきこと、取るべき行動がはっきりと見えてきます。
もちろん努力しなければ決して結果は出ません。これもまた真実です。
努力の軌跡は、経験という何物にも代えがたい経験値としてあなたの中に蓄積され、その積み重ねが結果につながっていると私は信じています。
そして、結果さえコンスタントに出していけば、あなたの努力は間違いなく評価されるでしょう。
まとめ
努力は必ず評価されるとは限らないのが現実です。
社会や市場が評価するのは、頑張ったプロセスではなく、生み出された成果という客観的な価値だけだからです。
だからこそ、がむしゃらに日々の業務を頑張るのでなく、成果に直結する行動と正しい価値基準を定めることが重要になります。




